葬儀 相続 遺産分割

通夜の晩から告別式 NO9

2019年、1月5日(土)余命3カ月の末期がん宣告を医者から突然告げられた父が、プラス調度100日のアディショナルタイムを神様からいただいてこの世を去った。
事前の墓購入、式場の選択、資金の準備・・・・すべて生前に綿密に父が準備してくれていた。
亡くなった日の夜、私も帰郷することができ、叔父のアドバイスもあったり、業社さん(TEARさん)のサポートもあって、翌日遺体を車で5分のTEARさんの会館に運び込んで通夜となった。

何十年ぶりで会う親戚、世代交代、そこのは結婚、離婚・・・だが、大学卒業後上京して、親戚付き合いを全くしてこなかった私にとって、この瞬間はかなり後ろめたいものだった。

そこのあったのは、父が6人兄弟の長兄であり、私がその長男(一人っ子)であるということでしか彼らが集まってくれた理由は見当たらなかった。それだけ私は、ある理由があって親戚付き合いを避けて来たのだ。

通夜の晩、親戚一同と故人の思い出話が終わり、僧侶に拝んでいただいて、叔父夫婦と私と母の4人でその晩、遺体と、寝た。

朝、少し早く起きて、叔父夫婦と外の喫茶店へ朝食を食べに行き、昼から告別式・・・

再び僧侶と親戚一同が集まってくれた。昨晩と告別式など3回くらい、喪主の挨拶があるのだが、定型文をもらって、覚えられないので大体の概略とアドリブで乗り切った。

親戚からの花代などもあって、花はかなり最後に配ってもなお余った。

霊柩車の助手席に初めて乗った。お別れの凄いクラクションが耳をつんざいた。
なにかこのクラクションの瞬間が一番父が死んだことを実感した瞬間だった気がする
本当に私と母を置いて、父はあの世へ離れて行ってしまったのだなと悲しさがこみ上げた瞬間だった。

市の火葬場(会館)で遺体を焼いていただいた。これで本当に棺の窓から父の顔を見るのは最後だ!遺体が、焼却炉に入っていく。親戚一同と見守る中、私は母の消沈した小さな肩をぐっと抱き寄せて最後に2人でそっと泣いた。

51歳の叔父さんでも悲しいし泣くのだ。

遺体がしっかり焼けるのに2時間半ぐらいかかった。・・・そんなに掛かるのだ・・・・?

焼きあがった遺体はしっかり外観は残っていたが、骨壺にみんなで箸で6、7割を拾い入れた。
金属製の入れ歯の部分と、強いモルヒネのシップ(痛み止め)の部分(胸部)の部分だけは骨がピンク色だった。モルヒネの威力が相当強かったことを示していた。

病院へは行きたくない、意識がなくなったとき意思表示ができないから、意識がなくなったら延命治療はしないで下さいという手紙が後で見つかった。最後まで私と母のことを考えてくれていた・・・・