葬儀 相続 遺産分割

父の余命宣告3カ月が過ぎて・・・・NO4

2019年9月25日、父が末期癌の余命宣告3カ月と診断されてからちょうど3カ月が過ぎた。
母から後で聞いた話だが、父は趣味のグランドゴルフ&カラオケをに既に病気のため、顔を出していなかったが、8月に最後ということでカラオケに自ら車を運転して、母の肩を借りて、カラオケルームの階段を必死に上がって、末期癌ということを伏せて最後のあいさつに行ったそうだ。

そして9月に入った。もうこの頃には食事はできずに栄養の吸収は点滴になっていたそうだ。

そして、10月、11月・・・・この時のことを母はあまり語りたがらない。
10月、ヘルパーさんが遂に来るようになった。

買い物難民地区の町で、父は母の肩を借り、車に乗って自ら運転して、買い物に10月くらいまでは行っていたそうだ。体力的な問題もありスーパーはいつも車椅子が借りられるところへ行った。

やがて、11月 トイレの便器も外すようになり、プライドもあってか最初はヘルパーさんにトイレに連れて行ってもらうのを嫌がったそうだ。

叔父さんがたまに来て、市民病院へ車に乗せて連れて行ってくれていた。
皆が目を離した時に、車いすから車に自分で乗ろうとして転倒して後頭部を打って、
再診・・・・・事なきを得たこともあったようだ。
その日は父が叔父さんにお礼に焼き肉屋でおごる予定だったが後頭部打ち事件があったため中止。
葬式後、冗談で叔父さんがあの時焼肉食べたかったな・・・と後悔していた。

父はもともと床で布団で寝ていたが、床で寝ている人間を起こして、トイレや風呂に連れて行くのはすごく大変なことだ。12月に入るとレンタルで自動(寝お越し)の介護ベットが入った。

6月に私が帰郷した時は受け答えははっきりしていたので、私は母にタブレットを渡して、日々、1分動画を撮ってもらうように渡していた。取り扱いが分かりづらいので、動画は数週間取られて終わっていたが、あとで編集して、それでも何週間か生きていた父の姿を後から懐かしむことができた。

12月中旬、ヘルパーさんに抱きかかえられて記念写真に写っている父の視線は気力(覇気)がなくなっているのを感じさせた。

父は、入院治療を選ばず、在宅医療(訪問介護)選択した。ヘルパーさんと在宅訪問専門医院の医師が週に数回来る。痛いのは嫌だ!ということだったので、今はというか、強いモルヒネを含ませたシップを貼るようだ。抗がん剤も決して痛みを和らげるものではないらしい。痛みの度合いによってモルヒネの度合いも変わるようだ。

12月最終週、母から電話があった。年末年始は乗り切れそうだけど、年が明けたら危ないかも・・・
とのことだった。6月に帰郷した時に父は、危篤になる前にもう一回呼ぶからとか、危なくなったら、救急車を呼んで乗っていくから安心だ・・・・と言っていたが実際にはこの時期、そこまで自分の意志ははっきりしていないようだった。・・・そしてついにその時が数日後に訪れる・・・・・