葬儀 相続 遺産分割

父の癌余命宣告3カ月から3カ月が経った時の気持ち NO3

私は東京に戻り、1~2週に1度は実家に電話していた。いつも電話に出るのは母だった。
昨日はお父さんは夜中ゲーゲー吐いてたけど、朝になったら復活したよ・・・母はいつも明るくふるまってくれた。
2018年夏、関東は6月の終わり全国に先立てて梅雨明けした年だった。
父は余命3カ月の3か月目に入った9月、母の肩を借りて車に乗って、自分が運転して近くのスーパーへ買い物に行っていた。そう、私の実家周辺は車がないと買い物に行けない買い物難民地域だ。

父は6人兄弟の長兄だったが、3男の叔父が1時間ぐらい車に乗ってきていつも病院へ連れて行ってくれていた。私の実家のある市民病院(市で一番大きい)が山の頂上にあり、母は車の免許を持っていなかった。私も実家にこの先戻ったにしても車を買わないつもりでいた。

父はもともと株式投資をやっていたが、この前年2017年上昇率ランキング第2だった銘柄を末期癌宣告を受けた後も私と母のために買い増してくれていた。・・・・(ペッパーフード)・・・・今、業績危機のあの会社だ!

このあと父は闘病に入り、母も看病していたため株価はそのまま放置され結果的にに気づいたときには(父の死亡後)多大の損失を出していた。

本当に世間には公表できない・・・いろいろな意味で、とんでもない金額の損失だったが、父の心情を思うとすごく悲しかった。

余命宣告の3カ月目(最後の月)いよいよ、ヘルパーさんをお願いするようになった(要介護2)が、頼んですぐ手配が付かないとのことだった。1か月待ち(10月)を余儀なくされた。

父はこの後母の肩を借りて車を運転して、スーパーに買い物に行くこと死ぬ1ヶ月半ぐらい前まで続けた。・・・母が困るからだ。

行くスーパーはいつも少しぐらい車をズラして止めてしまっても良い大駐車場のスーパーで車椅子が借りられるところだった。

ヘルパーさんが来るようになって、いよいよ車の運転が困難になった2018年11月初旬、ヘルパーさんが運転して父を外出に誘うと父は、「自分で運転できないなら行かない」と言ったそうだ。もうこの時期、運転できないことで気力が切れてしまったのだろう。

父の死後、父の年金手帳(証書)と企業年金証書を解約するため母が探したが結局見つからなかったそうだ、おそらく父がこそこそやっていたことがあるから、もう要らないということで捨ててしまったのではないかと言う結論に達した。